17、ゆれる心
アンナが目をさましたのは、もう、日もかたむきかけたころだった。
ディザイアンにつかまって以来、こんなにぐっすりと安心して眠ることが出来たのは初めてだった。
アンナは、クラトスとノイシュにお礼を言おうとして体を起こしたが、 目の前に広がった光景を見てぽかんとしてしまった。
ついさっきハンバーグを食べていたはずのテーブルに、なぜか新しいお皿がならべてある。 辺りには、昨日とてもおいしかったリゾットと同じにおいがただよっていて、 アンナは、ぐるぐると鳴り出したお腹をあわてておさえた。
「・・・・・起きたのか?」
火にかけたなべをのぞいていたクラトスが、横目でアンナを見て言った。
「・・・・・それ、りぞっと?」
「・・・・・そうだ。昨日と同じだが・・・・・いやか?」
クラトスは火を見てぼそりと言ったが、アンナは瞳をかがやかせてぴょんと飛びはねると、 おもむろにクラトスにだきついた。
「ありがとう!すっごく食べたかったの!」
ぎゅっとうでに力をこめると、アンナは、クラトスのくちびるに自分の口をおしつけて感謝をあらわした。
「・・・・・!!」
あまりに自然な動きをよけられなかったクラトスは、 ワンテンポおくれてアンナを引きはなすと、片手で顔をおおって低くうめいた。
「・・・・・悪いが、そのあいさつは やめてもらえないか。 ルインでは当たり前かもしれんが・・・・・そうでない国もあるのだ」
「じゃあ、ハグだけにする?」
「そういう問題ではない!」
クラトスは、カッとなって大きな声をあげた。
しかし、アンナは まったく気にする様子もなく、首をかしげてクラトスを見ている。
そこに、ノイシュが割って入った。
「アンナアンナ〜。ボクは平気だよ〜。ねえねえ、ボクにもチュってして♪」
「あ、そっか。ごめんね、おそくなって。ノイシュ、おフトンになってくれてありがとう♪」
アンナのやわらかいくちびるがノイシュの口にふれる。自分も同じことをされたのだ。 そう思ったとたん、クラトスは、急に心臓に痛みを覚えて顔をしかめた。
「・・・・・品のない風習だな」
ちくり。クラトスの心臓に冷たい何かがささった。そんな言い方をするつもりはなかった。 ただ、うろたえる自分を見せたくなかった。気づかれたくなかった。
(・・・・・傷つけてしまったな・・・・・・・・・・・・・・)
クラトスの心が、さらに重たくしずんでいく。泣きたくなるとは、こういう気持ちだったような気がする。 クラトスは、次の言葉が見つからなくてちんもくした。
しかし、アンナは目をまるくしてクラトスを見ているだけで、ふいに、にこっと楽しそうに笑ったのだった。
「・・・・・?」
その様子を気配で感じたクラトスが顔を上げると、アンナは、いたずらっぽく笑ってウインクした。
「そういえば、キスするのは死ぬまでにただ一人、結婚する相手だけ!・・・・・っていう国もあるそうね」
「!!!」
なぜ、アンナがそれを知っているのだ?クラトスが反射的にノイシュをにらみつけると、 ノイシュは、あわててそっぽを向いた。
「ねえ、クラトス。その国の人がルインのあいさつを受けたらどうなるの?相手のことが気に入らなくても ・・・・・結婚しなくちゃダメ?」
アンナが、むじゃきにたずねた。
クラトスは答える気になれなかったが、それ以外に間をつなぐ会話がないように思えたので、しぶしぶ返事した。
「・・・・・さあな。決まりとしては結婚しなくてはいけないだろうが、あいさつという風習なのだから ・・・・・婚姻関係は成り立たぬと、割り切るべきではないか?」
「ふうん・・・・・」
アンナはどこか安心した様子でにこやかに笑うと、クラトスに一歩近づいて言った。
「じゃあ、クラトスも気にしないで。これって、身についたクセだし・・・・・ あなたも、キスであせる年じゃないでしょう?」
「誰も、あせってなどいない!」
クラトスは、思わずさけんでしまっていた。
(何を言っているのだ・・・・・私は!)
(何をやっているのだ、私は・・・・・!)
こんな自分は、およそらしくない。そう思うのだが、どうしても止められない 激しい感情の波が、クラトスの心をおし流していた。
このままでは、次に何をするか分からない。ふいに恐怖(きょうふ)を覚えたクラトスは、 そのまま空へとにげた。
「あっ、ちょっと!どこ行くの?ごはんは?」
「私は遠慮(えんりょ)する。二人で食べるがいい」
クラトスは、ふり返らずにそう言った。
心の中では本当に申しわけないと思いながら、今のクラトスには、ただ、にげるしか方法がうかばなかった。
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アンナと父様-長いお話『アンナ〜出会い』 |