人を愛するということ

10、アンナの変化


「でね、ノイシュったらおかしいの!自分で届かないのに必死でしっぽを追いかけて、一人でぐるぐるまわってね」

アンナは、ころころと笑ってクラトスを見た。

クラトスは、目をふせたまま もくもくとはしを進めていたが、ふいに視線を上げると、ぼそりとたずねた。

「・・・・・・・・・・どうした?」

「え?」

するどい視線がアンナをまっすぐいぬく。その瞳はどこまでも深くてやさしく、アンナは思わず、心まですいこまれるようにうっとりと見入ってしまった。

「アンナ?」

「あっ、はい!」

きびしい口調でぴしゃりとよばれて、アンナはあわてて背筋を正した。

クラトスは、まったく理解不能だといわんばかりに、やれやれとかたをすくめて言った。

「今日のおまえは様子がおかしいぞ。いつも食事の時は、食べるのに夢中で一言も話さんというのに・・・・・」

「そ、そんなことないわ!・・・・・たぶん」

(・・・・・そうだっけ・・・・・・・・・・?)

心の中で首をかしげるが、まったく身に覚えがない。つまり、自覚がないアンナだった。

それきり、クラトスはおしだまって真剣に何かを考えているようだったが、しばらくして、少し言いにくそうに口を開いた。

「アンナ・・・・・今晩なのだが・・・・・・今宵は、私が赤子を見てやろう」

「え?」

アンナは、おどろいて目を見張った。クラトスは、夜は剣のけいこをするといって毎晩出かけるので、いつも小屋にはいないのに・・・・・

「クラトス、あなた、剣のおけいこがあるでしょう?わたし一人で大丈夫よ」

アンナはそう言ったが、クラトスは、うむを言わさない強い口調で言った。

「おまえは、赤子の世話をしていて、ゆうべはまったく寝ていないだろう。おそらく、その疲れが出ているのだ。今日は・・・・・きちんと休め」

「クラトス・・・・・・・・・・・・」

アンナは、感動と尊敬の気持ちをいっぱいにこめてクラトスを見た。なぜ、彼は、こんなにも他人を細かく思いやることができるのだろう?

とうてい、自分は足元にもおよばない。

そう思ったアンナは、深々と頭を下げていた。

「・・・・・ありがとう」

「・・・・・いや」

そこまで言ってクラトスは口を閉ざした。だが、まだ言い残したことがあるのか、緊張(きんちょう)した面持ちでアンナの様子をうかがっている。

「なあに?どうぞ、言って」

アンナが先をうながしたが、かなり言いづらいのか、クラトスはだまりこんだまま、食い入るように自分の左手に光るエクスフィアを見ていた。

いつものアンナなら、無理やり話を聞きだそうとして、最後まで口を割らないクラトスが姿を消すということが多かったが、今日の彼女はちがった。

アンナは、クラトスをじっと見つめて考えた。

(なにかしら?クラトスが言いにくいことって・・・・・説明とかお説教は得意だからちがうわね。彼が苦手なのって・・・・・なんだっけ?)

アンナの視線を感じるのか、クラトスは余計に緊張しているように見える。そういえばクラトスは、どうぞ、とばかりに作られた間で話すのは好きではないようだ。きっと、照れくさいのだろう。

大切なことなら、どんなに言いにくいことでも必ず話してくれる。そう思ったアンナは、クラトスが少しでも話しやすいように食事をつづけた。

しかし、クラトスは、かたまってしまったまま少しも動く気配がない。

アンナは、いったん話をそらしてみた。

「ねえ、クラトス。この味つけ、どう思う?」

「・・・・・・・・・・?」

クラトスが視線を上げたので、アンナは、ほっと安心して話をつづけた。

「わたし、もうちょっとなんとかしたら、もっとおいしくなると思うんだけど・・・・・何を入れたらいいと思う?」

「そうだな・・・・・・・・・・」

クラトスは無愛想で無骨な剣士の割に、アンナも舌をまくほどのグルメだ。料理の話なら、きっと少しは気がまぎれるだろう。そう思ったアンナのねらいは当たった。

クラトスは、水を一口のんで言った。

「・・・・・・・さらなる上達を目指すのなら、火加減を研究してみたらどうだ?」

「ひかげん?」

「そうだ」

クラトスは、力強くうなづく。

アンナは、この場においても自分の気持ちをおいて客観的な意見を言う彼に心の中で苦笑した。

「じゃあ、質問を変えるわね。あなたは、この味は・・・・・好き?」

「す・・・・・?」

一瞬、目に見えてクラトスが動揺(どうよう)した。

「おまえは意見が聞きたいのだろう?私の私見など関係なかろう!」

「ううん。わたしは、あなたの『しけん』が聞きたいの。とっても重要なことよ」

アンナは真面目な顔をして言った。

クラトスは、困ったように目をふせた。

「・・・・・そのようなことが必要とは思えんがな」

「あら、そんなことないわ」

アンナは一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、心の中にある疑問を思い切って口にした。

「だって、わたし、あなたのおヨメさんになるんでしょう?」

「な・・・・・・・・・・・・」

クラトスの手からはしが落ちる。しかし、それに気がつかないのか、クラトスは、そのまま唖然(あぜん)とアンナを見ていた。

「あ・・・・・ごめんなさい!わ、わたし・・・・・」

言ってしまってからはずかしくなったアンナは、赤いほほをあわてて両手でかくした。

(きゃあ〜!なに言ってるの?わたしってば〜!)

今日の昼間には戸惑い、迷っていた自分がまるでうそのようだ。しかし、いくらなんでも これはやりすぎではないか?アンナは密かに反省した。

クラトスは、おどろきをかくせない様子で、しかし、真意をさぐるようにしばらくの間じっとアンナを見ていたが、やがて、小さくせきばらいして言った。

「・・・・・・・・・・嫌では・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ないのか?」

「え?」

アンナが首をかしげる。

クラトスはもう一度、今度は、思い切ったように言った。

「不服はないのかと言っているのだ!」

「ふふくって・・・・・なに?」

「・・・・・もうよい!」

クラトスはあかさらまに気分を害した様子で立ち上がると、そのまま小屋を出て行ってしまった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

その場に残されたアンナは、きょとんと目をまるくしたまま、クラトスの消えたとびらをながめていた。

いつもの彼女なら、なぜ、そんな反応をするのだろうと思うばかりで分からないままだったが、今のアンナには、なぜか彼の行動が理解できた。

クラトスは冷静になりたいのだ。アンナの前から去るのではなく、頭を冷やすために間を置くだけなのだ。

(今ごろ気づくなんて・・・・・・・・・・)

(わたしって・・・・・・・・・・バカ?)

アンナは、自分のいたらなさに苦笑する。

嫌ではないのか?

クラトスはそう言ったが、それは、アンナの方こそ、彼に問いかけてみたい言葉だった。

(本当に・・・・・わたしで、いいの?・・・・・・・・・・・クラトス・・・・・!)

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