8、思いつきの作戦と素直な気持ち
「ノイシュ、あの人、まだ、この辺りにいる?」
アンナは、小屋の前でねそべっているノイシュに水を差し出してたずねた。
ノイシュは、ひくひくと鼻を動かして答える。
「いるよ。小屋から100メートルもはなれてない所。ずっと動かないね」
「そう・・・・・・・・・・」
アンナは、そうつぶやいてノイシュのわきにこしを下ろした。一人でいると、余計なことを考えてしまうからだ。
アンナの捨て身の作戦は 今の所なんとか思い通りに運んでおり、赤ちゃんの母親は、後を追って小屋のすぐ近くまで来ているようだった。
ノイシュは、お腹によりかかったアンナを見てため息をついた。
「まったく・・・・・アンナったら、いっつも後先考えないで動いちゃうんだから。クラトスがほっとけないわけだよ」
「・・・・・えっ?」
クラトス。その一言が、忘れかけていた大切なことを思い出させる。
アンナは、急にドキドキと高鳴る心臓をおさえながら空を見上げた。
「・・・・・クラトス、本当のことを知ったら・・・・・おこるかな・・・・・・・・・・」
「・・・・・指輪のこと?」
ノイシュが、やんわりと先をうながす。
アンナは、長い長いため息をついた。
「だって・・・・・そんな・・・・・まさか・・・・・ねえ」
「・・・・・アンナは、クラトスのことキライ?」
さらりとたずねられて、アンナは、とまどうように笑った。
「キライじゃないから、なやんでるのよ」
「なんで?好きならそれでいいじゃない。どうして人間って、そう、ややこしいわけ?」
「好きなら・・・・・それでいい・・・・・?」
アンナは、思いもしない言葉を聞いて目をまるくした。 彼女の心にうずまくのは、その気もないのにクラトスの気持ちを軽く受けてしまったという罪(つみ)の意識と、自分は彼を好きだが、いきなり結婚だなんて、いくらなんでも話が飛びすぎるというとまどいだった。
「好きなら・・・・・それで・・・・・」
ぐるぐると同じ場所でまわっていたアンナの気持ちが、急にはじけて解放される。
ノイシュが、胸を張って言った。
「そうだよ。だって、今の世の中、明日には命があるかどうかも分からないんだから。その時の気持ちを大事にしないと、後で、泣いてくらすことになるんだよ、きっと」
「そのときの気持ち・・・・・ね」
アンナは、まったく新しい気持ちになって空を見た。
(今の・・・・・わたしの気持ちは・・・・・?)
そういえば、自分は、クラトスをどう思っているのだろう?
アンナは今さらながら、そのことについて出来るだけ考えないようにしていたと気がついた。
(だって・・・・・ただでさえ好きなのに、もっと好きになったらこまるもん)
(こまる?・・・・・なにをこまるの?)
アンナは、自分で自分にたずねてみる。
考えてみると、答えはすぐに出た。
自分は、こわいのだ。彼を失うことが。愛する家族を失ったように、もし、彼と別れるときが来てしまったら・・・・・
たえられない。
家族との別れは、アンナにとってたえがたい悲しみだった。それを、クラトスとノイシュがうめてくれたのだ。アンナは、もう、大切な人を一人も失いたくなかった。
しかし、それよりも何よりも、彼女の心にブレーキをかけていたのは、自分の未来のことだった。
もし、愛されてしまったら・・・・・・・・・・
アンナは、それがおそろしかった。
愛した人を失うつらさ、悲しさは、アンナが一番よく知っている。
しかし、いつか必ず、自分は反対の立場に立つ。自分が失われる側になる時が、やがて来るのだ。
それは、どんなにあらがってもさけて通れない定め。
(クラトスは・・・・・きっと、たえられない・・・・・)
(だけど・・・・・だけど・・・・・・・・・・)
クラトスは、アンナの運命を知った上で彼女の命を救い、指輪をくれたのだ。相当の覚悟があるにちがいない。
(なら・・・・・わたしも、真剣に考えなくちゃ・・・・・彼の気持ちを・・・・・どう受けたらいいのか・・・・・)
「・・・・・アンナ?」
だまってしまったアンナを、ノイシュが心配そうにのぞきこむ。
アンナはノイシュに笑って返した。
「大丈夫よ。ノイシュ・・・・・ありがとう」
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。
アンナは、そうつぶやいて、ノイシュのお腹に顔をうずめた。
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アンナと父様-長いお話『人を愛するということ』 |