4、アンナの思い
「クラトス・・・・・ありがとう!」
アンナはクラトスにかけよると、置き場所を案内して、ゆかにおけを置いてもらった。
「・・・・・・・後は、何をすればよいのだ?」
その場につっ立ったクラトスが、ぼそりとたずねる。
アンナは、あわてて首を横にふった。
「あ、あなたは休んでて。後は、わたしが一人でやるから」
「・・・・・手伝うことは、山ほどあるのではないのか?」
(うっ・・・・・そんなこと、言ったっけ・・・・・)
アンナは急にはずかしくなって下をむいた。自分が平気で言った言葉も、あらためて聞かされると、なんて気分が良くないのだろう。
アンナは、苦笑いしながら、クラトスにイスをすすめた。
「今は大丈夫。出番になったらよぶから、ゆっくりしてて」
「そうか・・・・・」
クラトスは、少しとまどうように辺りを見て、やや間をおいて、部屋の中央に置かれたテーブルのイスにこしをおろした。
アンナは、なれた手つきで赤ちゃんの体をだきあげると、そっと服をぬがしてやった。
「あ、男の子だわ」
「え〜?どれどれ、見せて〜」
ノイシュは、アンナのかたにどかっとあごを置いて赤ちゃんをのぞきこみ、しっぽをぱたぱたとふって喜んだ。
「あ、ほんとだ〜!」
「見て、このちっちゃい手!」
「かわいいねえ〜♪」
「名前は、なんていうのかしら」
「ぼくたちでつけちゃおっか♪」
などと言いながら笑っていた二人だったが、ふいに赤ちゃんの頭皮を走る小さなかげを見つけたアンナが、悲鳴をあげてノイシュをふりはらった。
「ノイシュ!たいへん!すぐに外に出てちょうだい!」
「えっ?なに、なに???」
「吸血虫がいるの!うつるから、早くにげて!」
「う、うんっ!」
飛び上がったノイシュは、あわてて外へ出て行った。
吸血虫は、人間の頭や動物の体など、毛のある場所に住みついて血をすう小さな虫だ。虫がいるからすぐに命に別状があるわけではないが、かまれると、がまんできないほどかゆくなるし、体の栄養が足りなくなる。それに、不衛生なので、他の病気にかかりやすくなるのだ。
「かわいそうに・・・・・クラトスにファーストエイドをかけてもらったから、かゆみがおさまってよく眠れたのね・・・・・」
アンナは、赤ちゃんのほほをなでながらやさしく話しかけた。そして、虫を退治しようと思って赤ちゃんをかかえ直したとき、クラトスが、すぐそばに立って言った。
「虫を駆除(くじょ)する前に、一度、頭皮を洗ってやれ。もちろん、全身もだ。・・・・・私が手伝おう」
「・・・・・ありがとう」
アンナは、クラトスに赤ちゃんをだいてもらって自分が体を洗ってやった。赤ちゃんは目をさましたが、気持ちがいいのか、少しもぐずらずに、きょとんとした顔をして、されるがままになっていた。
「いい子ね・・・・・」
アンナが目を細めてほほ笑むと、赤ちゃんが声をたてて笑った。
「笑った!ねえ、クラトス、見た?」
「・・・・・・・・ああ」
クラトスは、まったく感情のこもらない声でつぶやいた。見ると、その横顔は、敵に立ち向かっている時のような緊張(きんちょう)で張りつめている。他にどうしようもなくて仕方なくやっているが、本来ならごめんだ。彼の横顔は、そう言っているように見えた。
本当は、子供も好きじゃないんだよ
ノイシュの言葉が思い出されてアンナの胸をしめつける。
アンナは、場をなごませようとして口を開いた。
「・・・・・クラトスにも、こんな時代があったのかな?」
「・・・・・・・・さあな」
せっかくもちだした話題を、クラトスは一言でばっさりと切りすてる。しかし、なぜかその反応をほほえましく感じたアンナは、さらにいろいろ聞いてみたくなった。
「ねえ、クラトスは、何人兄弟なの?」
「・・・・・なんだ、いきなり」
クラトスは、赤い瞳をふせたままこたえた。
アンナも、赤ちゃんの体をていねいに洗いながら続けた。
「だってわたし、思えば、あなたのことを何も知らないもの」
「・・・・・今、知る必要があるとは思えんがな」
「それは、そうかもしれないけど・・・・・」
知りたいんだもの。
アンナは心の中で思った。だが、それは、なぜか口に出すことができなかった。
アンナが口ごもると、しばらくして、クラトスが、ぼそりと言った。
「・・・・・・・・・私から、聞いてもよいか?」
「えっ?」
アンナは、どきりとして目を見開いた。クラトスから質問されることなどめったにないのでおどろいたのもあるが、一体、彼が自分の何を知りたいのか、考えるだけではずかしくて全身がほてった。
そんなアンナの気持ちを知らないクラトスが、赤ちゃんをまじまじと観察しながら言った。
「・・・・・・・この赤子は、生後どのぐらいになるのだ?」
「・・・・・・・・・・・」
がっくり。アンナのかたが落ちる。
(わたしのことじゃ、ないのね・・・・・)
そうは思うが、クラトスと会話できるのがうれしいアンナは、笑いをもらしながら言った。
「そうね・・・・・まだ首がすわってないから、生まれてすぐ・・・・・2、3ヶ月ぐらいかな」
「・・・・・そうか」
「そうかって・・・・・それだけ?」
となりを見ると、彼女の手が止まったことに気がついたクラトスが横目でアンナを見た。
一瞬、互いの視線がぶつかったが、クラトスは、すぐに目をふせて、おこったように言った。
「早くしろ。赤子がカゼを引くぞ」
「あ、はいっ!」
びくりと小さく飛びはねたアンナは、あわてて赤ちゃんの入浴の続きを始めた。
(・・・・・ノイシュ、こういう時には、どうしたらいいの?)
アンナは、吸血虫の存在をうらめしく感じながら小さなため息をついた。きっと、彼なら持ち前のほのぼのトークで、この場の気まずいふんいきをなんとかしてくれるだろう。
しかし、アンナの救いの主は、外に追い出されたまま、とびらの前でおとなしく入室の許可が下りるのを待っているにちがいなかった。
アンナは、もう一度、心の中でため息をついた。
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アンナと父様-長いお話『人を愛するということ』 |