愛を運ぶ風

16、


いつも 君といっしょ

君とだけ

死なないために・・・・・・


アンナは、すき間だらけの石かべを、泥(どろ)でうめながら歌った。

ユアンの元を去ってから数日。二人は、あてもなく森をぬけ、山をこえ、ちょうど、人里はなれた場所で、この小さな廃墟(はいきょ)を見つけたのだ。理由は分からないが、主が去ってかなりの年月が経つのだろう。石組みの建物はあちこちくずれ、ささやかな庭とおぼしき場所も、背の高い草でおおわれ、すっかり荒れ果てていた。

「うふふ。とっても楽しいわね♪」

アンナは、泥まみれの顔をゆるめて、にこにこしながら言った。生まれ育ったルインで何度も大工仕事を見てきたが、それは、男しか関わることが許されない聖域だったのだ。それなのに、今の自分は、思ったことを何だって自由に出来る。アンナは、それがうれしかった。

「・・・・・・・・・アンナって、本当に変わってるね」

そばで寝そべったノイシュが、ぼそりと言って、大きなあくびをひとつした。

アンナは、ノイシュの言葉をまったく気にしないで、やる気のあるふれるうでに力をこめた。

「うふふ♪クラトスが帰って来る前に、かべの穴をうめちゃうわよ〜♪」

クラトスは、用事があると言って出かけたまま、朝からもどっていないのだった。アンナは、新しい小屋の主が気持ち良く帰宅できるように、家の補修をし、部屋の中を片づけて、料理をした。それは、とても楽しく、幸せなことだった。

やがて、日が真上にのぼったころになって、クラトスが帰って来た。

「お帰りなさい!」

クラトスに飛びつこうとしたアンナは、彼が両手に下げている大きな荷物を見て足を止めた。布でおおわれた、四角い箱のようだ。

「それ、なあに?」

アンナがたずねると、クラトスは、ドサリ、と、荷物を足元に下ろして、言った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・みやげだ」

「おみやげ?」

開けてもいいかと目で問うと、クラトスは、かすかにうなづいた。アンナが早速つつみを開いてみると、中には、古びたボロボロの本がたくさん入っていた。そこに書かれた字は、アンナがこれまでに見たことのない形をしていた。

「この世界に、古来より伝わる歌を集めた本だ。楽譜というのだが・・・・・・・・・」

そこまで一気に説明して、クラトスは沈黙(ちんもく)した。

「がくふ・・・・・・・・・・・」

アンナが本を開いてみると、中には、たくさんの横に引かれた線と、黒いおたまじゃくしのような絵がびっしりとならんでいた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

アンナは、何と言ってよいか分からなくて困ってしまった。歌は大好きだが、楽譜など見たことがないし、第一、古代の言葉どころか、彼女は、現代の字も読めないのだ。

首をかしげるアンナに、クラトスが、思い切ったように言った。

「読み終えるまで、かなりの時間が必要だろう。おそらく、短くて数年・・・・・長ければ、もっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私でよければ・・・・・し、指南できるが・・・・・・・・・・・・・・・」

「え?そんなに手間がかかるの?耳で聞いたらすぐに覚えられるのに。めんどうねえ・・・・・」

率直な感想をもらしたアンナが見上げると、クラトスは、かすかにほほを上げて、そうか、と、つぶやいた。そして、水をくんで来ると言い残して、小屋を出て行った。

クラトスが姿を消したのを見て、あわてて飛び起きたノイシュがアンナに突進した。

「アンナ、アンナ、アンナ!!」

「きゃあっ!なあに?どうしたの?」

大きな頭でぐいぐいとお腹を押してくるノイシュにおどろいたアンナが言うと、ノイシュは、ふんふんと荒い息をはいた。

「早く!早く!クラトスを追いかけて!」

「どうして?彼は、水をくみに行っただけよ」

「アンナのバカ!なんで分かんないの?クラトスは、何十年かかっても本を読めるようにしてあげるから、ずっと一緒にいてくれって言ってるんじゃないか!」

「ええっ!?な、何を言ってるの?ノイシュ、あなた、考えすぎよ!」

「考えすぎでいいから、とにかく、早く行って!!!」

「ちょ、ちょっと!」

ノイシュに押されて小屋を出ると、そこに、ぽつんと立つクラトスがいた。放心したようにうなだれる背中を見たアンナは、ノイシュの考えが正しかったことを理解した。

「クラトス・・・・・・・・・・」

アンナが声をかけると、はじかれたように顔を上げ、クラトスがその場を飛び立った。

「まって!クラトス!!」

アンナは、必死で後を追う。しかし、クラトスはぐんぐん高い場所へのぼってしまい、アンナが、どんなに飛んでもはねても、のばした手は届かない・・・・・

アンナは、渾身(こんしん)の力をこめて悲鳴を上げた。

「クラトス!クラトス!!」

「まって!まってってば!!!」

ふわり。

「・・・・・・・・・・・え?」

ふいに、やわらかな風が全身を包みこんだ。どこかで覚えたその感じにドキリとしたアンナが下を見ると、自分の足と影がはなれてしまっているのが分かった。

クラトスは上にいるのに。なぜ?

だれが自分を持ち上げたのだろう。後ろをふり返ったアンナは、そこに、きらきらとかがやく太陽と同じ色の羽を見つけて仰天(ぎょうてん)した。羽は、アンナの背中から生えていたのだ。

「うそ・・・・・どうして?」

助けを求めて空をあおぐと、同じように、アンナを見て言葉を失っているクラトスがいる。

何がどうしてこうなったのか、アンナにはさっぱり分からなかった。しかし、羽があるのは好都合だ。それは、彼女の望むところだった。

(今なら、彼をつかまえらえる・・・・・・・!)

「えいっ!」

アンナは、いつもクラトスがそうしているように、空気をけって飛ぼうとした。しかし、どんなに動いても、細い手足は むなしく空気をかくばかりで、少しも空へのぼれなかった。

「も〜!どうしてよ〜っ!」

届きたいのに。彼にふれたいのに。

歯がゆい思いでじたばたと暴れるアンナを、ひゅうと吹いた突風がさらった。小さな身体は、やすやすと風に乗って、あさっての方向へ彼女を運ぶ。

「きゃあああっ!!」

「アンナ!」

ぐるぐると目が回り、どこが空で、どこが地面かも分からない。アンナは、恐怖でかたく目を閉じた。

どすん!

少し飛ばされた先で、アンナは何かにぶつかった。がっしりとして、あたたかくて、すっぽりとアンナの身体を包みこむ。それは・・・・・・

やれやれ。

低いため息が頭にかかって、アンナは、ぱっと目を開いた。

「クラトス!」

目と鼻の先に、クラトスがいた。風に飛ばされたアンナをつかまえてくれたのだ。アンナは、満面の笑みを浮かべて大きな身体に抱きついた。

力をこめても、こめても、まだ足りない。アンナは、めいっぱい心をこめてクラトスを抱きしめた。

しかし、クラトスは、胸を上げて苦しそうに言った。

「・・・・・アンナ・・・・・力をぬいてくれ・・・・・・・・・・息が、つまる・・・・・」

「あら。あなたも同じことをしたじゃない。あの時は、はなしてくれなかったわよね?」

アンナがそう言うと、クラトスは、怒ったようにまゆをひそめ、顔をそむけてだまりこんだ。

「うふふ。じょうだんよ」

くすくすと笑って、アンナは、これからどんな顔をしたら良いのか分からなくて、クラトスの胸元をながめて言った。

「あのね・・・・・わたし・・・・・その、お金がなくて、学校へ通えなかったの。それで、ふつうの字も読めなくて・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「だから、急に、昔の言葉とか、がくふとか言われても、ピンと来なくて・・・・・・・・・・・・」

そこまで言って、アンナは、クラトスの胸が動いていないことに気がついた。呼吸をしていないのだ。

何事かと思って顔を上げると、クラトスは、瞳を閉じて空をあおぎ、まるで、天からの裁きを待つ囚人のように、重苦しく悲愴(ひそう)な様子で身をひそめていた。

彼は、どうして神妙(しんみょう)になるのだろう。今さら、なぜ?

アンナは、疑問と、いきどおりと、愛しさと・・・・・色んな想いが交錯(こうさく)して、苦笑いした。

「・・・・・クラトス。まずは、ふつうの言葉を教えてくれる?古い言葉は、そのうちヒマが出来たら勉強したいと思うかもしれないわ。・・・・・・おばあちゃんになったころにね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・いいのか?」

クラトスが、ふるえる息をはく。

「あなたさえ、よければ・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そう答えて、アンナは、次の言葉を待った。

アンナがじっとしていると、ようやく、クラトスがまぶたを上げた。

熱く、力強い眼差しが、正面からアンナをとらえる。クラトスは、言葉ではなく、静かに身体を寄せた。

気がつくと、二人はくちびるを重ねていた。

長い、長いキスだった。

はなればなれになっていた互いの欠片が、悠久(ゆうきゅう)の時を越えてようやく出会い、本来あるべき場所にもどったような安堵感(あんどかん)と、新しい何かが始まるのだというとまどいを覚えながら、クラトスは、アンナは、深く結びついた魂と心を、二度とはなすことは出来なかった。

「・・・・・・・・・・・ねえ、クラトス」

アンナは、クラトスの手を取って言った。

「わたしとあなたの手を合わせたら、4本あるでしょう?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

けげんな顔をしたクラトスが、無言でアンナを見る。

アンナは、たくましいうでにほほを寄せて瞳を閉じた。

「一人だったら1本ずつだけど、二人だったら、4倍になると思わない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「人生も、同じだと思うの。二人一緒なら、きっと、4倍の力が出せるわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ねっ?」

















・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうかもしれんな。

そう言って、クラトスは、笑った。


















20060403
歌:サライ・・・谷村新司、アネマ・エ・コーレ・・・イタリア民謡

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