愛を運ぶ風

13、


よく朝、アンナは、ひやりと体を通る冷たい風を感じて目をさました。ゆうべは、クラトスがずっと一緒にいてくれたはずなのに、彼の姿がどこにも見えない。

心配になったアンナが外へ出ると、ぬれた体を朝日に照らして、水びたしになった髪を、ぐしゃぐしゃと手でかいているクラトスを見つけた。

まるで、泳いだ後のネコみたい。そう思ってふき出したアンナは、手ぬぐいを持ってクラトスの元へ行った。

「クラトス、おはよう♪」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ」

ゆうべはあんなにやさしかった彼が、全部うそだったかのように無愛想だ。そのちがいがおかしくて、アンナは、くすくす笑いを止められなかった。

「はい、手ぬぐい」

「・・・・・・・・・・・・・・」

アンナの差し出した手ぬぐいを後ろ向きで受け取って、クラトスは、それを頭からかぶって、言った。

「・・・・・アンナ。今日は、オサ山道をのぼってみたい。ついて来てくれるか」

「いいけど・・・・・体は、だいじょうぶ?」

クラトスは全快したわけではないのだ。それに、彼は武器も持っていない。アンナはそれを心配したが、クラトスは、どこか気にさわった様子でぶっきらぼうに答えた。

「問題ない。・・・・・では、な」

二人は、午前中はバートの仕事を手伝い、お昼を食べて、午後からオサ山道へ向かった。クラトスは、ゆっくりと、慎重に自分の足で歩いていた。アンナが手を貸すといくらいっても、がんとして聞かないのだ。アンナの願いをすべて受け入れてきたクラトスが最後まで彼女をこばんだのは、 これが初めてのことだった。

「なんだか、のんびりお散歩も、たまにはいいわね♪」

「そう〜?ボク、眠くなってきちゃった」

アンナとノイシュが二人でにぎわっていると、先頭を行くクラトスが、ふいに、立ち止まった。

「・・・・・クラトス?」

アンナがクラトスのそばへ走り寄る。クラトスは、じっと何かを考えている様子で、ぼそりと言った。少し、休もうと。

そこは、オサ山道の山頂に近い見晴らしの良い所だった。休憩(きゅうけい)するのにもってこいの空間とあって、他にもちらほらと、めいめいの場所にこしをおろして休む旅人の姿が見える。

アンナは、ノイシュと二人で、がけの際に寝そべって、眼下に広がる景色を見ていた。

クラトスは、その様子をながめながら、ずっと同じ事を考え続けていた。

愛を運ぶ風。

クラトスは、その答えに、ひとつの確信があった。しかし、どうやってそれを切り出したら良いか、最善の策がうかばないのだ。真実を知ったら、アンナはどんなにがっかりするだろう。彼女の落胆(らくたん)する姿は見たくない。クラトスは、考えあぐねた。

こう、だきしめよう・・・・・魂と心を・・・・・・・・・・

アンナは、水平線をながめながら鼻歌を歌っていた。あの時のマーテルと同じように。


クラトス、クラトス

ステキだと思わない?

愛を運ぶ風が世界中にあふれたら

みんなが幸せになれるわ

きっと・・・・・・・・・・・・・・・


そうだ。クラトスが覚えていないのは当然だ。愛を運ぶ風は、世界を救うために必要なアイテムではないのだから。

それは、マーテルの願い。

あの男は、存在しない夢が世界を救うと本気で信じているのだろうか?しかし、それは、クラトスの知るところではなかった。

ふいに、かわいらしい歌声がとぎれた。

クラトスが視線を上げると、アンナは、背中をぴんとのばして、そのまま微動だにしなかった。

「アンナ・・・・・?」

先に口を開いたノイシュが首をかしげる。すると、アンナは、おもむろにがばりと立ち上がってふり返った。

大きな目をいっぱいに見開いたアンナは、息をすいすぎて声が出ないようだった。

「クラトス!」

一言、そう言って、アンナは、さらに大きな声で言った。

歌よ。・・・・・と。

クラトスは、ため息をついて目をふせた。彼女は気づいてしまった。では、彼女は、なげくだろう。存在しないものと命を引きかえにしようという、残酷(ざんこく)でおろかな取り引きを。

しかし、アンナは、落ちこむ様子を見せるどころか、ますます興奮して声を高めた。

「歌よ!歌なんだわ!どうして気がつかなかったのかしら!」

自分のほほを両手でおおい、急いで走って来ると、アンナは、クラトスの手を取って大きく上下にふった。

「わかったの。愛を運ぶ風って、歌のことなのよ!」

「・・・・・そうか」

クラトスが口のはしを上げてそう言うと、アンナは、満面の笑みをうかべてクラトスにだきついた。

「やったわ!これで、あなたは助かる!」

「私一人が救われても意味はない。おまえが救われなければ・・・・・・・・・・」

それ以上の言葉は、アンナの小さな手によってふさがれた。

真剣な顔をしたアンナが、クラトスの瞳をのぞいて言った。

「クラトス・・・・・あなたは、まちがっているわ。あなたが救われて初めて、わたしは幸せになれるの。だから・・・・・」

わたしが死んでも、悲しまないで。

そのつぶやきは、風にふかれて消えた。

アンナは、くるりと表情を変えると、勢いづいた様子で言った。

「ねえ、わたし、早速ユアンさんに会って来るわ。そして、エクスフィアを返してもらって来る。クラトスは、バートさんの小屋でまっててちょうだい」

「何を言う。おまえを一人で行かせるわけにはいかん」

「あら、わたしだって、あなたを連れて行くわけにはいかないわ」

「無理を言うな。生きてもどれる確証はないのだぞ」

「クラトス、わたしは、あなたと連れだっているけど、別に将来をちかいあったわけではないし、一緒に死ぬ理由がみつかりません!」

「・・・・・・・・・・・」

クラトスが言葉につまる。押し問答はアンナの勝ちかと思われたとき、二人の様子をじっとながめていたノイシュが、くんくんと鼻を鳴らした。

「・・・・・・・・・・・・じゃあさ〜、二人で、生きて帰って来たらどう?」

「二人で・・・・・・・・」

「生きて・・・・・・・・」

クラトスとアンナが、顔を見合わせる。

ノイシュは、大きなあくびをして言った。

「ようは、二人で死ぬのも、どっちか一人で行くのもイヤなんでしょう?だったら、これしかないんじゃない?」

「・・・・・そうね」

アンナは、少しうれしそうに、どこか安心したよう笑った。

「わたし、そんなに上手じゃないけど、歌うのは大好きだから、もしかして、ユアンさんの役に立てるかもしれないわ。何をしたらいいのか、分からないけれど・・・・・でも、願いがかなったら、きっと、ユアンさんは、わたしたちを助けてくれると思う」

そう言って、アンナは、クラトスを見た。

「クラトス・・・・・あなたは、わたしが全力で守るわ。だから・・・・・来てくれる?」

「・・・・・・・・・・フ」

クラトスは、さも馬鹿げた様子で口のはしを上げた。

「・・・・・おまえの守りなど必要ない。おまえこそ、私の後ろで、おとなしくしているのだな」

「じゃあ、決まりだね。早く山を降りようよ。クラトスの歩くスピードなら、夜になっちゃうよ」

そう言って、ノイシュは、ぱたぱたとしっぽをふった。


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