10、
夕方にもどって来た小屋の主バートは、クラトスの目覚めをとても喜んでくれた。回復した彼のために、風呂をわかし、酒を出し、とっておきのごちそうまでふるまってくれたのだった。
クラトスは、自ら聞かなくても、バートとアンナの会話からこれまでのいきさつを理解した。アンナが、街から小屋へもどる途中だったバートを見つけて助けを求めたこと。二人は、旅業中に山賊におそわれて、何もかも失ったという筋書きになっていること。そして、今は、いそうろうの礼に、アンナが木こりの手伝いをして、クラトスの回復を待っていたということも・・・・・。
「何もかも世話になったようで、かたじけない・・・・・」
風呂に入って、すっかりいつもと同じにもどったクラトスが頭を下げると、バートは、がははと豪快(ごうかい)に笑って言った。
「なあに。気にすることはない。オレの連れ合いは5年前に他界して、子供もはなれてしまった。たまにはこういうのも悪くない。アナンは働き者だしな」
「木こりの才能があるって、ほめてもらったよ♪」
うれしそうにニコニコ笑うアンナを見て、クラトスは苦笑した。いくら才能があるからといって、木こりを本職にされては困る。できれば、彼女には・・・・・・・・・
「・・・・・・クラトス、どうしたの?顔が赤いわよ」
「・・・・・・・・・・・・酒のせいだ」
憮然(ぶぜん)とした態度でつぶやいて、クラトスはアンナから視線をそらした。傷にひびくので酒には口をつけていなかったが、何かしないと落ち着かなくて、クラトスは、手に持った酒を一気に飲みほした。
仕事はしないで、家を守ってほしい。
何というおろかなことを考えたのだろう。クラトスは、自分で自分を責めていた。
クラトスには、幸せをつかむ権利などない。どうあらがっても、どう転がっても、未来永劫(えいごう)、自分のおかした罪は消えることがなく、決して救われることもないのだ。
それは、罰(ばつ)。
アンナに救いを求めるなど、絶対に許されることではない。彼女こそ、いや、彼女だけが、救われるべき存在なのだから・・・・・・・・・・
「それでね、クラトス、聞いてる?」
「あ?・・・・・あ、ああ・・・・・・・・なんだ」
クラトスがうつむいたまま答えると、アンナは、興奮(こうふん)した様子で続けた。
「あのね、『愛を運ぶ風』のことなんだけど、それは、精霊じゃないかと思うの」
「精霊・・・・・か」
久しぶりに聞く言葉だ。われ知らずクラトスの口元がゆるむ。
しかし、アンナの出した答えがまちがっていることも、クラトスは知っていた。ミトスは、すべての精霊と契約を交わしていたからだ。ユアンもその場にいたのだから、今さらさがす必要はない。それに、マーテルが言っていたのは・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
どうしてもその辺りの記憶があいまいで、クラトスはひたいに手を当てて息をはいた。なぜ、思い出せないのだろう。それほど重要なことなら、自分も覚えていて当然なのに。クラトスは、苦しくなった呼吸を楽にするために、かたを大きく上下する。それを見たアンナが、心配そうに言った。
「クラトス、だいじょうぶ?無理をしないで、もう休んだら?」
「そうだな。食べるだけ食べたし、後は寝るだけだ」
バートがそう言った。クラトスは小さくうなづくと、アンナの手を借りてとなりの部屋へ行き、新しく作り直されたベッドに横たわった。クラトスの心臓の位置が変わってしまったかのように、頭で鼓動(こどう)が鳴りひびき、瞳をとじても、ぐるぐると目が回る。やけつくのどの痛みをなんとかしたくて、クラトスは、ぼそりとつぶやいた。
「水を・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、はいっ」
はじかれたように返事したアンナが、すぐに水を持って来た。しかし、はげしさを増す頭痛とめまいで、クラトスは、体を動かすことが出来なかった。
「まだ全快していないのに、お酒を一気に飲むからよ」
どこかあきれたようにそう言って、アンナは、自分の口に水をふくんで直接クラトスに与えた。冷たい水がのどをうるおすたびに、やけつく痛みが強烈に増して全身がうずく。クラトスは、その苦しみからのがれようと、動く右手でアンナをかき抱いた。
「ちょ、クラ・・・・・く、くるし・・・・・・・いっ、息が・・・・・っ!」
あえぎながらむせるアンナをうででしばり、夢中で何かをさがす。ほしいのは、水でも、くちびるでもない。
どこだ・・・・・どこにあるのだ。
彼女の、魂にふれたい・・・・・・・・・!
「いいかげんにして!!」
アンナの悲鳴と同時に、クラトスの頭にごつんと重い衝撃(しょうげき)が走った。ぐらりと景色がゆがみ、続いてはき気がおそってくる。クラトスは、低くうめいて脱力した。
「まったく・・・・・酒グセが悪すぎるわ!」
クラトスのうでの中からのがれたアンナは、本気でおこっているようだった。クラトスは目をつぶっていたので顔は見えなかったが、アンナは、まったく男は・・・・・だの、一生禁酒決定ね、など、ぶつぶつと文句を言いながら部屋を出て行ってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やれやれ。
やってしまった。大失態だ。
これから、アンナの機嫌(きげん)を直すまで苦労しそうだ。
そう思うと余計に頭が痛くなったが、なぜか、クラトスは、とても愉快(ゆかい)な気持ちになって口のはしを上げた。
アンナと父様-長いお話『愛を運ぶ風』 |