愛を運ぶ風

9、


もし この恋に

君が たしかに生きるのなら・・・・・・・・・・



クラトスは、うとうととまどろみながら、くり返しひびく旋律に耳をかたむけていた。それは、むかしから何度か耳にしたことのある苦手な曲だった。

初めて聞いたのは、どこかの酒場だった。妖艶(ようえん)な踊り娘の歌に腹をたてて、途中で席を立ってしまったのは昨日だったろうか?感動のあまりなみだしたマーテルは、しばらくの間、この曲ばかり歌っていたが、あの時の自分は、確かに、聞くもくだらない内容だと思ったのだ。

魂と心を重ねる存在など必要なかった。

恋に生きる価値など理解できなかった。

愛の喜びを知るために、ほんのひとときの時をすごすなど、むなしいことだと思っていた。もう、ずいぶんと長い間・・・・・・・・・・・・


彼女は、知っているのだろうか。

知るわけはない。

もし、彼女が知って歌うのなら・・・・・私は喜んで差し出そう。

私の、全てを・・・・・・・・・・



カーン・・・・・・カーン・・・・・カーン・・・・・

斧(おの)が木を打つ音が、どこか遠くでひびく。しんと静まり返った世界に、それ以外の音はない。気がつくと、クラトスを導いていたあの美しい旋律は、どこかへ消え去っていた。

歌は、どこへいったのだろう?

なぜ聞こえないのだろう。

彼女はどこへ?

不安を覚えたクラトスは、はやる気持ちにせかされて目を開けた。

最初に映ったのは、古びた木の天井だった。彼がアンナと二人で身を寄せていた小屋ではない。周囲に目をやると、クラトスは、見知らぬ部屋の一角に横たわっていた。

どこまでが夢で、どこからが現実なのだろう。クラトスは、それを確かめようと身体を起こそうとして、はげしい痛みにつらぬかれた。

「くっ・・・・・・・!」

動こうにも動けない。そういえば、ユアンにたたきのめされたのだ。古代英雄を相手に、エクスフィアなしで無抵抗。それで生きているのだから、自分の運の良さと、救いの主に感謝しなければならないだろう。

(しかし・・・・・・・・)

クラトスは、天井を走る木目を視線でなぞりながら考えた。

エクスフィアはうばわれたが、傷はすべて急所を外しているし、ユアンは、クラトスの命といえる右うでには一切ふれなかった。手加減を知らない男だが、彼は、最初から最後まで、クラトスという存在を傷つける気はなかったのだ。

(・・・・・また、良からぬことを始めたか・・・・・・・・・・・)

何やらあやしげな計画に巻きこまれたと知ったクラトスは、やれやれとため息をついた。むかしからそうだ。ユアンは、頭が切れるし行動力もある。そのおかげで、何度いらぬ危険に飛びこむハメになったか・・・・・・・

「『愛を運ぶ風』・・・・・・・・・・・・・・か」

いまさら、そのような物をさがしてどうするつもりなのだろう。

クラトスは、まぶたを閉じて記憶をさぐった。

愛を運ぶ風。

最初に言い出したのは、マーテルだ。

しかし、クラトスは、今は、それ以上のことは思い出せなかった。

ガタン・・・

ふいに音がして目をやると、部屋の奥で人の声がひびいた。

「じゃあ、兄さんの様子を見て、お昼を食べたら、オサ山道を散歩して来ます」

すずしげな少年の声だ。はきはきとした物言いとやさしいひびきから、悪意を持たない聡明な人物だということがうかがえる。

ガタガタと物を置いたり動かしたりする音がして、今度は、年老いた男の声が聞こえた。

「わしは、街へ買い物に行ってくる。魔物に気をつけるんだぞ」

「はあーい」

あどけない返事と、その姿が見えたのは同時だった。笑顔で現れた少年を見たクラトスは、姿はちがえど、一目でその人物がアンナだと分かった。

ほっそりとして色が白く、明るい表情は変わらないが、男物の服を着て、長かった髪は、坊主に近いほど短くかりこまれている。衝撃(しょうげき)を受けたクラトスは、しばらくの間、ぼうぜんとアンナを見ていた。

アンナも、じっと立ちつくしたまま、クラトスを見ていた。が、ふいに、ぐにゃりと口元がゆがんで、ぼろぼろとなみだを流すと、アンナは、へなへなとその場に座りこんでしまった。

「・・・・・・・・・・アンナ・・・・・・・・・・・・・・・・」

クラトスは、無事な右うでを支えに、なんとか体を起こそうと努力してみる。しかし、かんじんの腹に力が入らず、低くうなるばかりで、身動きが取れなった。

「アンナ・・・・・・・・・・・泣くな・・・・・・・・」

そう言うと、アンナは、余計にはげしく泣いてしまった。

どうすればいいのだ。

困ったクラトスは、他に方法が思いうかばず、仕方なく、歌った。



Tenimmoce accussi anema'e core・・・・・



それは、もう、やけっぱちに近い心境だった。

クラトスは、むかしから苦手だと自覚があるから歌わずに生きてきたが、あんなに大笑いされるほど下手だとは思っていなかったのだ。

もう、二度と歌うまい。

あの時、そう心にちかったのに、また歌うはめになるとは。クラトスは、苦笑を通りこして笑い出したい気分だった。

仕方がない。それで、アンナの笑顔が見られるなら。

しかし、アンナは、笑わなかった。

真っ赤な顔をして、なみだと鼻水と戦いながら、アンナは、ずるずるとゆかをはって来て、クラトスの顔をのぞきこんだ。なみだでぐしゃぐしゃになったその顔は、 まばゆいばかりに美しかった。

目を細めたクラトスは、右手をのばして、アンナのほほにふれた。それを待っていたかのように、おずおずとアンナが身をかがめる。細く長い指がほほを包み、やさしくなでながら首の後ろを交差して、クラトスは、息もつけないほど強くだきしめられた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・良かった・・・・・・・!」

アンナは、クラトスのかたに顔をうずめて、一言、そうもらした。

「そうか・・・・・・・・・」

このような大事な時に、なんと間のぬけた返事だ。まったく気のきかない自分をうらめしく思いながら、クラトスは、動く右手をアンナの背中に置き、少しでも彼女を感じようと力をこめた。

「・・・・・・・あれから何日だ?」

「5日よ。もう、目を覚まさないかと思った」

アンナは、クラトスの首にしがみついたまま、くすくすと笑った。

「おヒゲをね、見ていたの」

「・・・・・・・・・・・?」

「ほら。あなたのおヒゲがのびている間は、元気なんだなあって」

アンナがうっとりと目を細めてクラトスのあごを指差す。5日もたてばヒゲものびよう。ところが、アンナは、きみょうに目をかがやかせて笑っていた。

「いつもね、クラトスって、おしゃれしてる様子がないし、そういうのは気にしないのかなって思ってたけど、ちがったのね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

なんという言い草だろう。一体、何を見て、そう断言できるのか?クラトスは、アンナと一緒に旅をするようになってから、身なりには一瞬たりとも気をぬいたことがなかったというのに。クラトスは、落胆(らくたん)する気持ちをかくせずにため息をついた。

「・・・・・ここはどこだ。おまえの髪はどうした?」

クラトスが話を替えると、アンナは、あ、と小さくつぶやいて、体を起こした。そして、少しはずかしそうに髪をなでて笑った。

「・・・・・似合う?」

「ああ。だが、なぜ・・・・・・」

「赤毛の剣士と、茶髪の女の二人組みは、おたずね者だって聞いたからよ。ここは、オサ山道のそばにあるきこり小屋。あれからずっと、ここのご主人のバートさんにお世話になっているの。わたしは、あなたの弟で、アナンって言うのよ。よろしくね」

ほこらしげにそう言うと、アンナは、とてもうれしそうに笑った。


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