9、
「クラトス、クラトスー!!」
クラトスは、ぎゃんぎゃんと激しくほえるノイシュの声で我に返った。
「ああ、良かった!びっくりしたよー。急に倒れるんだもん!」
ノイシュは大きな前足をどっかりとクラトスの肩に乗せ、 ベロベロと顔をなめて感激した。
「ここは・・・・・・・・私は、一体・・・・・・・・・・」
しびれる頭を手でおさえ、クラトスは、再び途切れた記憶を結ぼうと努力する。 確か、悪夢にうなされるアンナを縛り、彼女を起こそうとして・・・・・・・・・
「・・・・・・アンナは!?」
クラトスは あわててベッドを見た。アンナはベッドに 縛りつけられたまま、すうすうと気持ち良さそうな寝息をたてていた。
「クラトスが倒れてからも暴れてたんだけどね。ちょっと前から急に おとなしくなったんだ。それからは、良い夢を見てるみたいだよ。 ニヤニヤしちゃってさー。極端だよねえ〜まったく」
「・・・・・・・・・・そうか・・・・・ノイシュ、世話になったな・・・・・・」
クラトスはノイシュの首をかいてやり、やれやれとため息をついてベッドの縁に倒れかかった。
ふと見ると、アンナにかまれた指から血が流れている。そうだ。 これは現実だ。ここが、二人の生きている本当の世界なのだ。
しかし・・・・・・・・
クラトスを忘れてしまったアンナとの出会い。そして、交わした約束。 その何もかも一切を、クラトスは事細かに記憶していた。
(・・・・・あれは、本当に起こった出来事だったのだろうか・・・・・・・・・・)
夢で体験した事実。そんな馬鹿げたことが起こり得るのか?
(考えるだけ、無駄・・・・・・か)
クラトスは苦笑した。アンナが目を覚ませば全てが明らかになるだろう。 とりあえず、自分は誓いを守らなければ。そう思ったクラトスは、アンナを縛るロープを そっとほどいてやった。アンナは、自由になった四肢を気持ち良さそうに 伸ばして寝返りを打った。
ついで、クラトスは、アンナの口に入れた手袋を外そうとした。 彼女を起こさないように、静かに、ゆっくりと・・・・・・・・・しかし、クラトスは 口元に集中する余り、自分の髪がアンナの顔にかかっていることに気づかなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん・・・・・」
顔をしかめたアンナが赤い髪をはらいのける。その手がクラトスの顔に当たって、 アンナは瞼(まぶた)を上げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
アンナは、クラトスを見ていた。
クラトスも、アンナを見ていた。
「・・・・・・・・・・起こしてしまったか・・・・・?」
クラトスがぼそりと問うと、アンナは、わなわなと口元を震わせて言った。
「・・・・・・・これは、夢?」
「さあ・・・・・・・・・な」
「夢だわ・・・・・これは夢なんだわ。だって、あなたが夜中に帰って来てくれる はずがないもの・・・・・・・・」
「そうかもな。 しかし、私はここにいる・・・・・・・不満か?」
「クラトス・・・・・!!」
がばりと体を起こしたアンナがクラトスの首にしがみついた。クラトスは、たくましい腕を 華奢(きゃしゃ)な身体に回してしっかりと抱きとめてやる。
「約束した。おまえが目を覚ました時、側にいると・・・・・・・」
「・・・・・・・・えっ?」
クラトスの言葉を受けたアンナが、弾かれたように顔を上げた。
アンナは、何かにつかれたように目を見開き、いぶかしむようにクラトスを見た。
「・・・・・・そんな約束したかしら・・・・・いつ?・・・・・どこで?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
覚えていないのか。クラトスは、我知らず苦笑した。
アンナは、何かを思い出そうと大きな瞳を宙に走らせていたが、すぐに あきらめてため息をついた。
「あ〜あ・・・・・せっかく楽しい夢を見ていた気がしたのに・・・・・・・ なんにも覚えてないわ・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・どうせ、食い意地の張った夢だろう」
クラトスが言うと、アンナは、ほほをふくらませて憤慨した。
「ちがいますっ!もっと、楽しくて、ステキで・・・・・・・ 胸がしめつけられるような・・・・・・・・」
「ええー!?それで、あんなに暴れるわけ?」
「ノイシュ!」
クラトスが一喝すると、ノイシュは、キュンと鼻で鳴いて黙りこんだ。
「楽しい夢ならそれで良い。邪魔をして悪かったな」
クラトスが静かに言う。アンナは、とたんに口の端をかたく結んだ。
「・・・・・・・・・・忘れ物を・・・・・取りに来たの?」
「いや・・・・・・・・・・・・・・」
ひとつ、大きく息を吸って、クラトスは言った。
「ここにいても・・・・・・・・・かまわないか?」
「えっ・・・・・・・・・!?」
アンナがうろたえるのが分かったが、クラトスは、その場に ひざをつき、アンナの手を取って甲に口づけた。
「おまえさえ、良ければ・・・・・・・・」
「クラトス・・・・・・・・・・・・・・・・」
見上げると、アンナは、目にいっぱいの涙をたたえて 笑っていた。
「どうしたの?・・・・・なんだか、あなたが急に変わり過ぎて気味が悪いわ」
「・・・・・・・フ。 我ながらそう思うが・・・・・・・」
クラトスが口の端を上げると、ふいに重なったアンナのくちびるが 言葉を遮った。
アンナの口づけは、礼の証。
しかし、今、与えられた口づけは、これまでのどれとも違った。
クラトスが会話しようとする度に、アンナは何度も何度も言葉を奪った。 クラトスも最後には話すのをあきらめて、彼女の好きなようにさせた。
ノイシュは部屋を出て行き、いつの間にか雨は止んでいた。
辺りには夜の帳が織り成す静けさが広がり、音のない世界に 二人だけがいた。
アンナはクラトスの腕の中にぴったりと収まったまま、 全身を彼に預けてため息をついた。
「クラトス・・・・・・・帰って来てくれて、ありがとう・・・・・・・」
「いや・・・・・・・・・・」
礼を言われる筋合いはない。クラトスがそう言おうとすると、 アンナは、くすりと笑って言った。
「わたしね、雨は大好きなの・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・?」
クラトスは驚いて息をのんだ。一体、彼女は何を言い出すのか。
しかし、アンナは、うとうととまどろみながら続けた。
「雨が降るとね、草木がいっせいに歌いだすの。とっても 楽しそうに、とってもうれしそうに・・・・・・その歌を聴くと、 わたしも胸がドキドキして幸せになるのよ」
「・・・・・・・何の話だ?」
クラトスの心臓が早鐘を打つ。つい先ほどまでの現実と話のつじつまが合わない。 一体、何が起こっているのか。
クラトスは不安を抱いてアンナの様子をうかがったが、アンナは、 小さな身体をもじもじと動かしてはにかんだ。
「ねえ、クラトス・・・・・・あなた、運命って信じる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
クラトスは、やれやれと空を仰いでため息をついた。アンナお得意の、とりとめのない話が始まったからだ。
「・・・・・・・・・さあ、な。 私は信じたくないが?人間が生まれ、死ぬまでの 時間の全てが運によって運ばれているなどと考えたら、生きることに嫌気がさすからな・・・・・・」
クラトスは、そう投げやりに返事した。
しかし、アンナは、それを少しも気にする様子もなく、クラトスの胸に 顔を押しつけて言った。
「・・・・・わたしは信じるわ。 だってね、わたし・・・・・・・あなたに会う前に、 あなたに会ったことがあるのよ」
「・・・・・・・・・・・・?」
何を言っているのだ。話の内容が無茶苦茶だ。悪夢にうなされて 思考回路に支障をきたしたのだろうか? 呆れたクラトスは、ひたいにしわを寄せて息を吐いた。
「あ、笑ったわね?ひどい!」
アンナはクラトスのほほをつねり、しばし精悍(せいかん)な顔を見つめて・・・・・ 大きな身体にしっかりとしがみついた。
「・・・・・・・・わたしが今、ここにいるのは、あなたに会う前に会った、あなたの おかげなのよ・・・・・・・・・」
「なんだ。早くも耄碌(もうろく)か?」
クラトスは話を聞き流そうとしてそう言ったが、アンナは、ほほを高潮させて怒り出した。
「クラトスのバカ! 夢で会ったあなたは、あんなにステキだったのに・・・・・・・・」
「夢だと・・・・・・?」
アンナと父様-長いお話『月夜の闇の雨の詩』 |