月夜の闇の雨の詩

5、


クラトスは、灰色に閉ざされた建物の中にいた。小屋の中でアンナを起こそうと していたはずなのに、気がつくと、目の前からアンナも小屋も消えていた。

「・・・・・・・・・・・ここは・・・・・・・・?」

無意識に腰に手を伸ばすと、装備していなかったはずの剣がある。

(・・・・・・・・一体、何が起こったのだ・・・・・・・・・・・)

クラトスは、じわりと湧き上がる恐怖を飲みこんで慎重に辺りの様子をうかがった。幸い、敵の気配はない。

少しばかり考える余裕が出来たクラトスは、つい先ほどまでつながっていた記憶をたぐり寄せた。

クラトスは、確かに、アンナとノイシュと共にいたはずだ。そして、そこで闇に襲われ、気がつくと、今は、まったく知らない別の場所にいる。

(・・・・・もしや、アレの夢に引きずりこまれたのか・・・・?)

自分は今、アンナの夢の中にいるのではないか。そんな馬鹿げた考えが脳裏をよぎる。そのような現象が起こるという事例を聞いた覚えはないが、かといって、空間を越える技がこの世に存在した例もない。

何がどうなっているのか。一切の情報はない。しかし、とにかく、何かしら現状を知る必要がある。早急にだ。

「・・・・・・・・フ・・・・・私にも分からん事があるとは・・・・・まったく、長生きはするものだな・・・・・・・・・」

クラトスは自らにそう言い聞かせて、その場を動いた。

「・・・・・・・・・・この建物は・・・・・・・・・」

灰色に覆われた壁は、一見して現代の建築ではなかった。これは、現存する資源による物ではない。古代大戦で失われた魔科学の結晶だ。実に見慣れた壁だが、この建物をクラトスは知らなかった。

ここは、一体、どこなのだ。

暗く冷たい廊下には誰もいない。

腰に手をやり、慎重に足を進めていくと、布を裂くような音がかすかに空気を震わせた。

(・・・・・・・・・・・・アンナ!!!)

彼女の悲鳴だ。間違いない。

そう直感したクラトスは走った。剣を抜き、声の聞こえた方向へ。

「アンナ!!!」

廊下の角を曲がり、階段を下ると、そこに大勢のディザイアンがいた。ディザイアンに囲まれた中心に、細く白い手が垂れている。姿は見えなくても、それがアンナだということをクラトスは瞬時に理解した。

「アンナ!!」

そう叫んだ時、クラトスはディザイアンの群れに切りかかっていた。彼女を救い出す。それしか頭になかった。技も魔法も全てを忘れ、クラトスは、ただ、がむしゃらに剣をふるった。

すべて急所を突いたはずなのに全く手応えがない。剣がうなって空を切り、しかし、その度にディザイアンは散り散りになって消えた。

「アンナーッ!」

全てのディザイアンが消えた後、地面には血まみれの少女が横たわっていた。見慣れた茶色の長い髪、やせた四肢。かけ寄ったクラトスは、アンナを抱き起こして顔をのぞき、そして息をのんだ。

アンナの顔は醜く変形し、愛らしい顔の見る影もなかった。 ひどくムチで打たれたのだろう、着衣はボロボロに千切れ、 体中のいたる所の肉が裂けて鮮血がしたたっている。

「アンナ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

クラトスの身体が震える。愛する女の惨めな姿から視線をそらす事も出来ず、抱きしめてやることも出来ず、クラトスは、ただ絶句した。

「・・・・・侵入者だ!」「こっちだ!」

背後で新たなディザイアンの声が響く。我に返ったクラトスは、とっさにアンナを抱き上げて周囲を見た。

逃げなければ。

彼女を連れて・・・・・・

どこか、無事な所へ・・・・・・・・・!

そう強く念じると、霧に包まれたように辺りがぼやけ、 次に視界が広がった時、クラトスは見知らぬ草原の中に立っていた。

辺りに人の気配はない。

反射的に目を落とすと、アンナは、ぐったりと目を閉じたまま腕の中にきちんと収まっていた。いつの間にか流血は止まり、体のはれも引き、今は、無数に走る傷あとだけが全身に刻まれいてる。

「・・・・・・これは・・・・・・・・・・・・・・」

(・・・・・やはり、夢・・・・か・・・・・)

これが夢でも現実でも、もはやクラトスにはどうでも良いことだった。とにかくアンナを救い、守らなければ。

しかし・・・・・・

クラトスは、どろりと沈む心に負けて草原の上に腰を落とした。夢とはいえ、これがアンナに刻まれた記憶なのだという衝撃が重く心にのしかかる。

これほどの仕打ちを受けながら、現実のアンナは、その痛みを少しも見せようとはせず、いつだって変わら ない笑顔をクラトスに投げかけている。

なぜ、そのようなことが出来るのだろうか。

どうして、彼女は、そこまでするのだろうか。

聞こえないと知りながら、つい、クラトスは口を開いた。

「アンナ・・・・・・・・・おまえは・・・・・なぜ、私の側にいるのだ・・・・・・・?」

返す言葉はない。

クラトスは、深い深いため息をついて空を仰いだ。


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