7、
再び闇に落ちたクラトスは、胸に宿る小さなぬくもりを支えに、
渾身(こんしん)の力をふりしぼって叫んだ。
「アンナ!!目を覚ませ!!これは夢だ!!!」
バン!と、空中で何かがはじけ、クラトスの身体が宙に放り出された。
クラトスは無意識でアンナを抱え直し、しっかと開いた両眼で状況を確認すると、 マナの羽を広げて落下を止めた。
目を開けても闇しか見えなかった空間は、今度は、いっぱいの星で彩られていた。 小さな光、大きな光、無数の星がきらめき、またたく・・・・・満天の星。それは、アンナの 大好きな光景で、たった今、クラトスが望んだ景色だった。
クラトスがゆっくりと地面に降り立ち、腕の力をゆるめてアンナの足を静かに草むらへ着けてやると、ガチガチに硬直した小さな身体が、屈強な胸にそってストンと落ちた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そのまましばらくの間、二人は微動だにしなかった。共に息を潜めたクラトスとアンナは、お互いがお互いに次の何かを待っているかのようだった。
ぐらり。
星空がふいに黒くゆがむ。しかし、クラトスが口の端を上げると、天に生まれた闇は霧散した。
「悪いが、闇へ帰ることはかなわんぞ。おまえが幾たび行こうとしても、私が決して許さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しばしの沈黙があって、今度は、足元が大きく揺れた。
「・・・・・・・・!?」
地面からむくむくと現れたのは、あらゆる種類の木。まるで、数千年の時が目の前で一気に早送りされたように、めりめりと音を立てて生えた木々が、幹をのばし、葉をしげらせ、あっという間に、うっそうとした森を作り上げる。
「・・・・・フ・・・・・・伝説に聞いた、偉大なる魔術師の力比べのようだな・・・・・・・・・」
クラトスは、辺りにただよう濃い空気を吸い、笑った。
クラトスは、今、ようやく理解した。アンナは闇に落ちるのを望んでいるのではない。 場所はどこでも良いから、とにかく自分の身を隠したいだけなのだ。
「そうか・・・・・・・気がきかなくて、すまないな・・・・・・・」
クラトスは苦笑すると、銀色に輝く美しいローブを作り出してアンナの頭にかぶせてやった。そして、彼女に背を向けて言った。
「私は、森を出て、一人で星でも見るとしよう。おまえは自分の気のすむようにしろ。 何しろ、ここは夢の中なのだからな」
夢の中・・・・・
そう思うと、つい愚痴りたい気持ちが湧いてきて、クラトスは、ぼそりとつぶやいた。
「・・・・・私を思い出せぬとは、ひどい仕打ちがあったものだ。正直に話すと、私は傷ついたぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
アンナは答えない。
「・・・・・・・・フッ・・・・・・・たわごとだ。気にするな」
そう言い残して、クラトスはその場から立ち去った。
クラトスは、草原に寝転がって空を見上げ、自ら願いをかけて星を流しては、漫然と
その様子をながめていた。
上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜・・・・・
頭の中はすでに空白に近いというのに、不思議と歌が流れてくる。
声に出して歌えば、アンナはつられて姿を見せるだろうか。
夢の中だから、本職の歌い手のように巧みに 歌えるかもしれない。クラトスはそう思ったが、いざ、口に出してみると、 まったく思い通りにはいかなかった。
悲しみは 星のかげに
悲しみは 月のかげに
上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・未熟もいい所だな」
自らの歌を評価して、クラトスは口の端をゆがめた。
すると、ふと、背後で、かわいらしい細い声が歌をつむいだ。
私がさみしいのは あなたのせい
あなたが去ってから 私の人生は雨の日のよう
これほど愛しているのに どうして分からないの
あなたは去り、私は独り・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・?」
歌詞はちがうが同じ曲だ。クラトスが顔を上げると、 そこにアンナがいた。月の光を受けて輝きを増したローブを しっかりと身に巻きつけ、いつでも姿を消すことが 出来るように、すぐ後ろに森を引き連れて・・・・・・・・・・
その様子がこっけいで愛らしく、クラトスは 、思わず吹き出してしまった。
「おまえは・・・・・・・夢の中でも相変わらずだな・・・・・・・・」
一度言い出したら、がんとして考えを曲げない気持ちの強さ。それなのに 情にもろく、他人に受けたほどこしを決して忘れない心の優しさ。
彼女は間違いなくアンナだ。クラトスは、安心して胸をなでおろした。
「・・・・・アンナ・・・・・見ろ。星がきれいだ・・・・・・」
ピクリ。 アンナが体を動かした。
クラトスは、アンナを驚かさないように、 出来るだけ息をひそめて待った。
しばらくして、アンナは力尽きた様子でその場に腰を降ろし、消え入りそうな声でつぶやいた。
「・・・・・・・今日も・・・・・たくさんの人が死にました・・・・・・・・・・」
クラトスは何も言わない。
アンナは、今にも泣き出しそうな声を震わせた。
「・・・・・わたしを外へ出そうとした人たちが大勢つかまって・・・・・・・わたしも・・・・・・ディザイアンに・・・・・・・・・・・」
消えた言葉に嗚咽(おえつ)が混ざる。
「・・・・・・・・わたしは、一体、いつまで生きていれば良いのでしょう?・・・・・・・・・・いっそ、死にたい・・・・・・・・・・・・・・」
殺してください。
アンナは、そう言った。
クラトスは、その言葉を無言で受け止めようとした。
アンナは、しゃくり上げながら続けた。
「わ、わたし・・・・・どうして・・・・・・・・・もう、希望は捨てたはずなのに・・・・・・・・・ こ、こんな・・・・・・・・・こんな夢を見るなんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・おまえのために、何人の仲間が命を失った?」
クラトスの問いに、アンナは、更に激しく泣き出した。
「ならば、生きろ・・・・・・・」
そう言って、クラトスは身体を起こした。
「おまえのために死んだ者がいるなら、おまえは、その者たちの 人生を負って生きる必要があるのではないか?死者は戻らないが、 生きている人間がその者を知っている限り、存在は生き続けるだろう ・・・・・自分と共に・・・・・・・・・・」
クラトスはアンナに説教をする気はなかったが、アンナが驚いた様子で クラトスを見たので、二人の視線が自然に交差した。クラトスを見るアンナは、 他人の顔をしていた。
クラトスは、深いため息を一気に吐き出すと、言った。
「・・・・・・おまえは逃げたいのだろう?逃げるとは前進することだ。その場を去るには 前へ進むしかない。後ろに行けば死だ。・・・・・しかし、死ねば、今の苦しみに永遠に縛られることになるぞ。そうすれば、おまえの仲間は、それこそムダ死にをしたことになるだろう。・・・・・おまえは、本当にそれでいいのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
アンナは、ぽかんと口を開けてクラトスを見ていた。
クラトスは、再び草むらに 寝転がると、瞳を閉じて沈黙した。
アンナと父様-長いお話『月夜の闇の雨の詩』 |