「……ん? この感覚は……!」
ゼタが天を仰ぎ、空中を凝視した。談笑していた面々は、ゼタの只ならぬ口調と表情に緊張した。けど、なんというか……本にそんな顔をされても……。
「どうしました、ゼタさん?」
プレセアが声を掛けた瞬間、ゼタは叫んだ。
「気をつけろ、魔王クラスが来るぞ!!」
ゼタが叫んだ直後、辺りは暗闇に包まれ、背筋を凍りついてしまいそうなほどの悪寒が駆け巡り、禍々しい空気に鳥肌が立った。
「なんだっ……!?」
すると、ロイドたちの目の前に一際深い闇の塊が現れた。闇の精霊シャドウのそれとは違い、ネビリムに憑り付かれたアビシオンのような……いや、それ以上に邪悪なオーラだった。
その闇の中から、ミズホの民に似た出で立ちの、右眼に眼帯をつけた男が現れた。白髪で、丁髷を結わい、服の左側は肌蹴て着流している。腰には大きな、何の飾りも無い刀を2振り差している。
男はこちらを見ると、愉快そうに笑った。
「くっくっくっくっくっ……久し振りだなぁ、ゼタよ。またその姿になっているとは、よっぽど気に入っていたのか? ええ?」
「あれ以来、1度たりとも冥界から出ようとしなかったお前が、こんな田舎世界まで何をしに来た。冥王シードル」
「冥王、シードル?」
ゼタが口にした言葉を、ゼロスが聞き返した。それに頷き、ゼタは説明を始めてくれた。
「あの男の名だ。冥王シードル。罪人どもの魂が集う冥界の王。かつては、とある人間界で“サムライ”と呼ばれる勇者だったが、何の因果か、冥府魔道に迷い込み、結果、冥界の主になった、堕ちた勇者だ」
「堕ちた勇者……」
その言葉に、ロイドはミトスのことを思い出した。だが、対峙しているだけでも分かる。この男からは、後悔や無念というものがまったく感じられない。傲慢なまでの自信と、狂気染みた殺意をびりびりと感じる。
「数年前のある事件以来、冥界に篭り、何の音沙汰も無かったのだが……」
「冥界に篭っていたのは……魔王ゼタ、貴様を殺すためさ。くっくっくっくっ」
シードルがそう言うと、ゼタは鼻で笑った。本のくせに。
「殺す? 我を? お前ごとき格下の魔王が? 笑わせるな!」
「冗談ではないさ。俺のレベルも貴様同様、あの時とは比べ物にならんぞ?」
そう言って、シードルは更に闇のオーラを放ってきた。その凄まじい圧力に、ロイドたちは後退り、セレスは中(あ)てられてしまったのか、咳き込んでいる。
「ほぅ、レベル4444か。だが、まだまだ我には及ばんな!」
ゼタも、凄まじいまでのオーラを発した。流石に宇宙最強を喧伝するだけあって、シードルを上回っているのが分かった。だが、これでお互い本気だというわけでもないようだ。
シードルは意味ありげな笑みを浮かべると、刀の柄を握った。
「やってみなければ分からんよ!」
そう言い放ち、刀を抜き、ゼタに刃を向けた。そこに、ロイドは思わず割り込んだ。
「ま、待て! どうしてゼタを殺そうとするんだ!」
こんなふうに、自分たちが置いてきぼりで話を進められるのは、どうにも居心地が悪い。それに、ゼタには本当に鍛えてもらった恩もあるし、なんだかんだで仲も良い。そんな魔王(本)を目の前で殺そうというのは、納得がいかない。
しかし、ゼタはロイドの言葉に目をギラリと輝かせた。
「ロイド! ゼタ“様”だと何度言えば分かる! このバカチンがー!! 本の角アタァァァック!!」
ゼタの角の部分が頭に直撃した。
「痛ってぇぇ〜……」
本の割にゼタは硬いので、これは本当に痛い。……というか、こんな時ぐらい大目に見てくれてもいいだろうに。
「……貴様ら、気に入らんなぁ。その……目!」
そう言って、シードルは刀を勢い良く振った。その圧力によって生まれた突風に、ロイド達は吹き飛ばされないようにその場で必死に耐えた。暫くすると、シードルは刀を仕舞った。
「……くっくっくっくっ。ゼタを殺す前に、貴様らに一つ面白い昔話を聞かせてやろう。とある世界の、お前たちと同じ“勇者”の話さ」
「なにを……」
ユアンを睨みつけただけで黙らせ、シードルは話しを始めた。
「その人間界は、魔界からの魔族の侵略により危機に瀕していた。老若男女問わず殺され、住む所を、食べる物を奪われ。人間は、魔族に屈服しようとしていた。そんな時、一人の年若い剣士が現れた。その剣士は、人間とは思えぬ強さで魔族を次々と蹴散らし、いつの間にか諸国から勇者として讃えられた。その武勇は無双、その心意気は戦士の鏡とまで謳われた。その勇者は旅先で出会った仲間達と共に魔族の本陣へと乗り込み、魔王を倒し、魔界へ追い返した。だが、戦いから帰る途中、その勇者は死んだ。どうしてだと思う?」
「どうしてって……魔王との戦いで傷ついていたとかじゃないのかい?」
しいながそう答えると、シードルはにやりと、不気味な笑みを浮かべた。
「くっくっくっくっ。残念だが、違う。その勇者はな、旅の仲間の僧侶の女に殺されたんだよ!」
「な、なんで……?」
「ひどい……」
ロイドが聞き返した直後の、ジーニアスの「ひどい」という言葉に、シードルは遂に声を上げて笑った。一体全体、なんだっていうんだ!?
「くっくっくっくっ……ふっはっはっはっはっはっ!! ひどい? ああ、酷いよなぁ!! だが、この話にはまだ続きがあるんだよ。その殺された勇者はな、その女僧侶に夜這いをかけたんだよ」
「夜這い?」
コレットが鸚鵡返しに聞くと、ゼロスとユアンが意味の分かっていない面々に、気まずそうに説明をした。
説明終了後、ユアンを含む、そういった方面に免疫のない面々は顔を真っ赤にしていた。平気な顔をしているのは、ゼロスとゼタぐらいのものだ。セレスは倒れる寸前だったようだ。
しかし、シードルが話し始めると、全員、緊張を取り戻した。
「その勇者は結局、右眼を短剣で刺され、悶え苦しんだ後、更に心臓を刺されて死んだ。……ここまで言えば、分かるよなぁ?」
眼帯を指すシードル。眼帯が覆っているのは……右眼だ。
「ま、まさか……!」
リフィルの信じられないような声に、シードルは答えた。
「そうだ。その“サムライ”の勇者の名はシードル! 僧侶の名はサロメ――魔王ゼタの弟子だ! あの女も俺の死後、勇者殺しの罪で火炙りの刑に処されたが、そんなもんじゃ、俺は満足できねぇ。俺は……あの女を、この手で! 滅茶苦茶にしてやりたいんだよおぉぉぉ!!」
まさに、狂気だ。シードルの痩せた顔は、狂気に埋め尽くされていた。
……こわい。
ロイド達はその姿と、感じずに入られない圧倒的なシードルの力に、知らぬ内に恐怖していた。
「そもそも、どうして貴様はそのサロメとか言う女を襲ったのだ! 仲間だったのだろう!?」
ユアンがこの空気を紛らわせるかのように、声を荒げて問い質した。ユアンは4千年間マーテル一筋の男だから、女性に乱暴するような男を許せない、というのも純粋にあるのかもしれない。しかしシードルは、狂気の表情を崩さない。
「簡単さ。あいつぁ、いい女だった……。だから、俺の物にしたくなったんだよ、俺だけのものに。力尽くでも、手に入れたいぐらいによぉぉぉ!!」
この男は、あっさりと答えた。やはり、同じ“堕ちた勇者”でも、こいつはミトスとは違う……いや、まったく異質だ。
「しかし、どうしてあの男は一度死んだはずなのに、今こうして魔王として生きているのだ? ゼタ殿」
リーガルは冷静に、ゼタに当然の疑問を尋ねた。言われて見れば確かに、あの男は自分が死んだといっていた。しかも、今は魔王なのに、昔は人間だと言っていた。
ゼタはおほん、と咳払いをして、やや偉そうではあったが、説明を始めてくれた。
「転生だ。この世のありとあらゆる魂は死後、天界、魔界、人間界など、様々な世界を巡るのだ。本来ならば、転生の際に前世の記憶も姿も失う。だが稀に、一際強い力を持った者は前世の記憶と姿を留めて、そのまま転生することがある。その顕著な例が、あのシードルと、我が弟子サロメというわけだ」
そういうことだったのか。……じゃあ、ミトスや五聖刃も、どこかの世界で生まれ変わっているかもしれないんだな。
……差別されず、差別せず、彼らが暮らしていますように。
「それで、貴方は何を言いたいのですか?」
プレセアの言葉に、ロイドは思考から現実に戻った。シードルは、自分たちを馬鹿にしたように笑った。
「くっくっくっくっくっ。分からんか? 所詮、勇者だのなんだの呼ばれようとも、人間は己の欲のためだけに動くのさ。貴様らだってそうだったろう? ええ?」
その言葉に、全員が驚愕した。そして真っ先に、ジーニアスがそれを否定した。
「な、なにを! 僕らは、そんなこと一度も……」
「世界を救いたいとか、誰かを守りたいとか、そう思ったことが無いのか? それだって、立派な欲だろう?」
「そ、それは……」
シードルの言葉に、ジーニアスは黙ってしまった。
シードルの言葉は、確かに正論かもしれないが、そうじゃないと思う。だが、なんと言えばらいいのか分からない。ロイドは歯を喰いしばって、必死に乏しい頭脳をフル回転させた。だが、答えは出ない。
すると、リーガルが一歩前に出た。
「確かにそうだろう。だが、我々は決して、貴様と同じ欲では動いていない! それだけは断言できる」
リーガルの毅然とした言葉に、プレセアも続いた。
「そうです。私達は……ロイドさんは、最初から、何かを力尽くで手に入れようとはしません。最後まで頑張って、そうして達成してきたんです」
「最近、己の欲のままに動く低俗な輩を見たからよく分かる。こいつらはアレとは違う。そして……貴様はアレと同類だ」
ユアンはそう言って、ロイド達を後押ししてくれた。
「ま、欲のままに動いたっつーのは認めるさ。けどな、レディの扱いも分かっていねぇ野蛮な野郎に、同類扱いされたかねぇな」
ゼロスらしい言い方で、シードルの考えをばっさりと切り捨てた。
「そうだねぇ。人様に迷惑をかけたことがないって言えば嘘になる。それでもね、そうしてでもやってきたことを無駄にしちまうような、バカな真似をやった覚えはないさ。そうしそうになった時も、止めてくれる仲間がいるしね」
過去の自分を思い出しながら、しいなはシードルの言葉を否定した。
「そうだよ。どうして、一緒に旅をしていた仲間に、そんなことをしたの? 生まれ変わってもそんな理由で同じ人を傷つけようとするなんて、そんなの、ただの我が儘だよ!」
ジーニアスは真っ直ぐな言葉と意志で、シードルの考えに抗った。
みんなの言葉を聞いて、ロイドは不思議と心が楽になった。
「子供に言われれば世話ないな」
「ロイド!」
「悪ぃ悪ぃ」
冗談を詫びた後、ロイドはシードルの目を真っ直ぐに見返しながら、自分の答えを言った。
「あんたの言うとおり、オレ達は……特にオレは、自分のやりたいことをやり続けてきた。そのせいで、多くの人に迷惑をかけて、傷つけて、死なせちまった……。それでも、オレが最後までやれたのは、オレにはみんなが――仲間がいたからだ。ちょっと違いはあったけど、同じことをやろうって言ってくれる仲間が。そのサロメって人も、あんたにとって、そういう人じゃなかったのか?」
ロイドの言葉に、コレットも頷いてくれた。
「あなたの心の中にも、いるでしょう? あなたの良心って言う神様が」
シードルは目を瞑り、黙り込んだ。
もしかしたら、分かってくれたのか……?
そんな淡い期待は、あっさりと裏切られた。
「く……くっくっくっくっくっはっはっはっはっはっはっ!! 笑わせてくれるな! 貴様らの言う神ってのと、俺達魔王は、同格なんだよぉぉぉ!!」
言い放ち、シードルは凄まじい闇のオーラを放ってきた。それは、最初に開放した時とは比べものにならないくらい邪悪で、禍々しく、強力だった。
セレスは耐え切れず、咳き込みながらその場に崩れてしまった。先程、彼女と先生とマーテルが喋らなかったのは、2人がセレスを診ていたからか。
「駄目だこりゃ、開き直っちまってる」
何とかその場に踏ん張り、セレスの方を心配そうに見遣りながら、ゼロスは言った。
「やはり、気に入らんなぁ!」
「避けろ! 赤毛アホ(ゼロス)!」
シードルが呟き、ゼタが叫んだ直後、ゼロスの後ろに刀を抜いたシードルがいた。
「え……?」
「死ねええぇぇぇぇぇ!!!」
シードルが叫んだ直後、ゼロスの胸に巨大な斬り傷が刻まれた。
「かぁっ……!?」
ゼロスは声も出せぬほどの深手を一瞬で、一撃で負ってしまった。手足が弛緩し、その場にぐらりと崩れ落ちた。
「お、お兄様ぁぁぁぁぁ!!」
セレスは地面に座ったまま、力の限り叫んだ。
ジーニアスがライトニングで牽制した隙にしいながゼロスを担ぎ、リフィルとマーテルの下に連れて来た。
「リフィル! マーテル! 早く回復してやっとくれ!」
「分かっています! キュア」
「ゼロス、しっかりなさい! レイズデッド」
ゼロスの傷は塞がり、顔にも生気が戻った。それを見て、しいなとセレスはほっと溜息をついた。まずは一安心だが、すぐに気持ちを切り替えた。
冥王シードル……! 本当に、強い! 今まで戦った敵の中で、間違いなく最強……いや、最狂だ!
「ゼタは後回しだ。てめぇら、弄(なぶ)ってやるよ。弄(なぶ)って、弄(なぶ)って、弄(なぶ)り続けてやる。癒しの力が使えなくなるまでなぁ……。そしてとどめを刺さずに、あの木を奪ってやる」
シードルは刀で、大樹ユグドラシルを指した。
まさか……まさか!
「そいつがなければ、この世界は崩壊しちまうんだろう? だから、それを特等席で見せて、体感させてやるよ! くっはっはっはっはっはっ!!」
シードルは、間違いなく本気だ。この戦い……絶対に負けられない!
「ま、がんばれ」
ゼタはそう言うと、マーテルと共に大樹の方に移動した。
「協力してくれないのか?!」
ロイドは驚き、ゼタを見た。一応、シードルはゼタを殺しに来たはずだ。ゼタは特に気にした様子も見せず、さらっと答えた。
「シードルは貴様らに戦いを挑んでいる。ならば、弟子の戦いに師匠が出るのは無粋だろう。というか、メンドクサイ」
「そ、そうか……」
こうもあっさりと言われると、ユアンでさえも怒る気力も湧いてこないようだ。
「死なぬように頑張ることだな。大樹は我も守ってやるから、存分に戦え」
「セレス、お前も下がってろ」
ゼロスは起き上がると、未だ立ち上がれずにいるセレスに、開口一番そう言った。
「けど、お兄様……」
「病弱なお前を、あんな化け物との戦いに巻き込みたくねぇんだよ。今だって、立つこともできないだろう? ほら、早くマーテル様と一緒に行け」
ゼロスは優しくそう言い聞かせると、最後には笑って見せた。セレスはそれを見てこくんと頷くと、マーテルに抱きかかえられた。
「お兄様……お気をつけて」
そう言い残して、セレスは気を失ってしまった。それだけ、シードルの邪気が身体に障るのだろう。
ユアンはマーテルに指輪を渡した。あの時の落し物だ。
「マーテル。大樹は……ユグドラシルは、必ず私が――いや、我々が守ってみせる」
「ユアン。……信じます。貴方と、ロイド達を」
マーテルはセレスを大樹の傍に寝かせると、ゼタと共にこれからの戦いを見守る姿勢を見せた。それを見たシードルは、にやりと笑った。
「あれらも、てめぇらが動かなくなったら殺してやるよ」
その言葉に、ゼロスとユアンが切れた。
「そんなこと、させるかよ!」
「この命に代えてでも……今度こそ! 大樹と彼女は守り抜く!」
敢然と言い放ち、ゼロスは神子の宝珠を装備して、ユアンはマントを脱ぎ捨ててクルシスの輝石の力を解放し、天使化した。コレットもそれに倣い、ロイド達もそれぞれ武器を構えた。リーガルも今回は手枷を外したまま、本気で戦うようだ。
「くっくっくっくっくっ。絶対的な力の違いというものを、骨の髄まで染み込ませてやる! 死ねぇぇぇええぇぇ!!」
その言葉を皮切りに、戦いが始まった。
アンナと父様-お話スペシャル!『テイルズ・オブ・日本一 第3話 堕ちた勇者〜The prince of Darkness〜』 |